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家族の時間

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第3章

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師匠との葛藤を越えて

1 妙聖師の一番弟子だった師匠

当時、僕が直接学んだ師は、
妙聖師の一番弟子であり、神風特攻隊の生き残りでもあった――
富永嘉元(とみなが・かげん)上人である。
(だから僕は、妙聖師の“孫弟子”ということになる。)
 

*のちに僕を浄土宗で得度させてくださった戒師は、
山上光俊上人である。

 

富永上人は、終戦後に山に籠もり、
一切経(五千六百巻)を通読するほどの求道者だった。
弁栄聖者の孫弟子にあたり、
光明会の布教師として全国を巡り、教えを説いていた。

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2 道場での修行と葛藤

当時、妙聖師の教えに基づく霊的法界回向は、
全国各地の寺院や道場で広く行われていた。
 

東京道場では、晩年の妙聖師と結婚された
霊的能力の高い夫人が導師を務めており、
僕も縁あって、その道場で修行していた。
 

ところが――
困ったことに、その夫人から、
法門の後継者候補として期待されてしまった。

 

僕はその重圧に耐えられず、
期待に応えられない罪悪感と葛藤の中で、
最終的に富永上人に従うことにした。

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3 師匠と葛藤 ー君も霊的回向はやめなさい

ある日、師匠は突然こう言った。
 

「妙聖師の教えは、どうしても従来の仏教とは整合しない。
何とか整合させようとして二十五年やってきた。
……でも、もう無理だ。やめる。君も、やめなさい。」

 

――何ということだろう。

霊的回向をやめろと言われても、
それは僕にとって、人生を根底から変えた“救い”であり、
悟りの体感そのものだったのだ。

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4 渡された無言のバトン

その後、僕は師匠に従い、従来の仏教修行だけを続けた。
だが――どれほど真剣に行じても、
霊的回向で体験したあの圧倒的な実感は再現できなかった。

それどころか、
救いを求める諸霊が次々と訪れ、心身の重さは続いた。


 

従来の修行では霊的な問題に対処できない。
かといって、師の「やめなさい」という言葉を
無視することもできなかった。

 

結果として僕は、
「霊的・法界回向」と「伝統仏教との整合性」という、
妙聖師が残した宿題を、一人で背負うことになった。
 

今にして思う。
それは――
富永上人から受け取った、無言のバトンだったのだ。

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5 四十年の悪戦苦闘

確かに、師が言ったように、
その本尊観には従来の仏教と整合しにくい部分があった。

しかし――
僕が得た霊的体験の真実性、
その効果、そして宇宙大霊の大愛の実感だけは、
どうしても否定できなかった。
 

とはいえ、
「君も霊的回向はやめなさい」という言葉は、
長く僕の胸に、小さな棘のように刺さり続けた。

だから僕は、
悪戦苦闘しながら、この課題に正面から向き合うしかなかった。

 

――富永上人から受け取った“バトン”は、
あまりにも重かった。

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6 経典の根拠はどこに?

仏教では、どんな教えであっても、
必ず経典を根拠とするのが伝統である。


新たに宗派を立てる場合も、もちろん例外ではない。
 


だから法然上人は、善導大師の著書の一節をよりどころとし、
『浄土三部経』を根拠にして浄土宗を開かれた。


日蓮上人は、『法華経』を依経とされた。

しかし、妙聖師は経典の根拠について、一切を語られなかった。
富永上人が霊的回向を放棄された理由の一つも、そこにあった。

だから僕は模索し続けた。
――霊的回向の根拠となる経典を。


そしてついに気づいた。
まさに「灯台下暗し」だった。


『無量寿経』の中に、
諸佛が諸霊を救済する場面が
記されていたのだ。

 


「たとえ畜生や餓鬼、地獄に堕ちていても、
この光に出会うならば、皆、安らぎを得て苦悩はなくなり、
お浄土に救われる。」

― 『無量寿経・如来光明歎徳章』(超訳)

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空思想との衝突

問題は、経典の根拠だけではなかった。
もっと厄介なのは、
大乗仏教の根幹「空(くう)思想」と霊的回向との整合性である。
 

霊的回向の実践では、対象化によって諸霊を認識し、救済を行う。
ところがこれは、「一切は空」と説く立場とは正反対になる。

 

この矛盾をどう乗り越えるか――
それは僕にとって、まさに死活問題だった。

コロンブスの卵 ― 密教の示唆

長い逡巡の末、あるときふと気づいた。
空思想を“逆に”捉えているのは、実は密教も同じだったのだ、と。

思い出したのは『理趣経』の一節。
そこでは、『般若心経』が「空」とした五感――
眼・耳・鼻・舌・身の感覚を、すべて菩薩の位として尊んでいた。
 

その瞬間、
“ああ、そうか!”と永年の疑問が氷解した。

――「霊界の存在を空として否定する」のではなく、
「空の顕れとして霊界を捉える」。
 

これで良かったんだ。

僕は心底ホッとした。
外から見れば些細なことかもしれない。
でも僕にとっては、長年の悪戦苦闘の果てに見つけた
“コロンブスの卵”のような答えだった。

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崖から飛び降りるほどの覚悟

なぜそこまで苦しんだのか。
理由の一つは――
師から課された「封印」を解かなければならなかったからだ。

師、富永上人はこう言っていた。
 

「経典の根拠を示せないような教えに進むなら、地獄に落ちる。」
 

“ひぇ〜!!”

*往生要集』で地獄の描写を読んでいた僕は、
その恐ろしさを骨身にしみて知っていた。

もしも間違った道を人に勧め、
結果として人を誤らせてしまったら――
どうすればいいのか?

自分だけでなく、
人をも地獄へ導いてしまうことになるのではないか。

……結局、僕は覚悟を決めざるを得なかった。

たとえこの道が間違っていたとしても、
決して他の人には、そのカルマを負わせない。
すべてのカルマを、自分が引き受けよう。


――そう覚悟したのだ。


そうして、
「一切の人のために良かれ」と願い、
最終的には、この身を捨てるしかなかった。


それは、まさに崖から飛び降りるような覚悟だった。

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*『往生要集(おうじょうようしゅう)』1,000年以上前に、お坊さんの源信が書いた本。地獄や極楽の世界が、まるで実際に見てきたかのように描かれているんだ。

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扉が開かれた日

覚悟はしたものの、
霊的回向のメソッドを他の人も体感できるようにすることは
長らく不可能だと思っていた。


 

けれど、ある日。
タオ指圧の技法指導の中で、ふと試してみた。

すると、生徒さんたちも
「諸霊救済の実際」を体感として認識したのだ。
 

その瞬間、
長く閉ざされていた扉が、静かに開いた気がした。
 

――霊的回向を分かち合う道が、
ついに拓けたのだった。

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7 普遍の道を求めて ――霊的回向という実践

「霊的回向」の修行によって、
霊的存在によって引き起こされる
さまざまな心身の不調を取り除くことができる。
 

だが――僕には課題があった。
 

どうすればこれを、
伝統仏教と矛盾せず、
しかも誰もが“悟りの体感”を得られる方法として
体系化できるのか?

そして、どうすればこれを、
宗教や文化を超えて
誰もが共に修行できる形にできるのか?

気がつけば、

僕はこのテーマを、人生そのものとして背負っていた。
 

それはいつ終わるとも知れない、果てしない探究だった。
 


ふとふり返ると――
半世紀近く、この道を歩いていた。

長い旅の果てに ― 希望の火声明の誕生

その果てに、ようやくたどり着いた。
それが、 「希望の火声明」の修行メソッドだ。
 

ついに、
従来の仏教の哲理と整合性を保ちながら、
霊的回向のメソッドを体系化することに成功した。

しかもそれは、
特定の宗教や教義に縛られず、
普遍性と汎用性を備えた――
まさに「世界のための行」となった。

失われた門、受け継がれた法

実際のところ、
かつて全国に広がっていた法界回向の法門は、
今や跡形もなく消えてしまった。

寺も、道場も、
ひとつとして残っていない。

妙聖師と、その霊的回向について語る人も、
今はもう、誰もいない。

 

だが――

「希望の火声明」とそのメソッドは、
妙聖師が見出した霊的・法界回向の功徳を、
世界中の人々と分かち合う道を開いた。
 

それは、ひとつの終わりであり、
そして、新たな始まりだった。

人類はいま、
霊的時代の新しい扉の前に立っている。

 

その扉を開けば――

そこには、
人類が共に目覚め、
共に歩むための道が、
静かに広がっている。

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宇宙大霊への目覚め

では――
霊的世界の扉を開いたら、
僕たちの心と身体には、何が起こるのだろう?



僕自身に起こったのは――
 

存在が透明になって、光が通り抜ける感覚。 
宇宙大霊の大愛に、身も心も溶けていく感覚。
 

一つひとつの細胞が快く震動し、歓喜にあふれる響き。
そして、すべてを大いなる力に委ね切る、深い安らぎ――。

悟りの体感

このとき起こった心と身体の変化を、
僕は「悟りの体感」と呼ぶことにした。

「自分は悟った!」と思ったからではない。
それが、古の修行者や宗教者たちの体験と、共通していたからだ。


(後に詳しく述べるが、ここでいう「体感」とは、触覚のことではない。もっと別のフィールドで感じ取られるものだ。)


そして、悟りの体感とは、何か特別なものを手に入れることではない。
誰もが、自分の本来の存在を思い出していくことなのだ。

では、「悟りの体感」とは、いったいどんな世界なのか?


次のエピソードに向かい、
その探究の旅に出よう。

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